ふてくされてばかりの十代をすぎ分別もついて齢をとり

私は割と素でアツイことを語ったりするのですけど(アツイことわかってて、喋ってるの)

世間の人一般は、そういう真面目な事を考えること自体が

恥ずかしいもののように扱われてて、ちょっと困ったもんだなあって思います。



例えそれが正しい事で、まっとうな事でも

口に出して言うのは恥ずかしいみたいなそんな空気がするのです。

心ではそう思っててもまわりが茶化しちゃうから、言えないよみたいな。



人生を適当にというか、なんとなく生きてて、

友達とも適当に会話あわせて、自己主張することもなく、みたいな人が一番、

そういう真面目に考えている人にとっては切ないと思う。





私は、今の環境は、ちゃんとした人(どういう定義なのかわからないけど)が多くて

ちょっと真面目に話しても、ちゃんと真面目に聞いてくれる人が多くて

ありがたいと思うのだけど、高校の頃は結構ひどかったように思います。



私は基本的に生真面目だから、なんでも正直に言いすぎた、という原因もあるんだけど

正直者は馬鹿を見るの典型だったような。

別に正直な事を自慢しているわけではなくて、

生きていくということは正直なだけじゃいられないという事を身を持って知ったのは

高校の頃だったのです。

私はその当時、嘘がつけなかった。

なんでもすぐ顔に出ていたから、吐こうにもつけなかったんです。

正論ばっかり言っていて、癇に障るタイプだっただろうな。

まあ高校生なので、アホですけどね。お互い。

最近の子達が(ああこんな風に表現しなきゃいけないの嫌だなあ)

どこまでどうか知りませんけど、

少なくとも、私の高校時代の、私の周りの人たちは

私を含めあんまり考えてなかった、いろいろな事を。きっと。

私はその高校生活で、生きていくには、みたいなことを学んだよ。

正しい事を正しいと、主張できないという環境で

どうやって自分を維持していくか、とそういうこととか。

いろんな人がいるんだから、いろんな人を認めなきゃいけないこととか

適当に受け止めて流すことが、角が立たないという事とか、

受け流してばっかりじゃ自分が無くなると言うことも。





真面目なの=かっこわるい、っていつから言われるようになったんだろうな。

確かに、冗談の1つも通じないようなのはちょっと困るけど

真面目な話1つも出来ないようじゃ、中身スカスカになるんじゃなかろうかと。

仕事の話とはまた別ですよ。

なんていうか、生きてく上での、みたいな話。



そんなおおっぴらにしなくてもいいから、自分の大事な相手に

そういうのがきちんと話せて、きちんと受け止めてくれる相手のいる人が、私は好き。







私がこう生きていこう、と最低ラインで思っている事は

なんとなく生きていくのだけは嫌だ、ということ。

そんな高校生活で、妙に自己主張の強い、男社会で生きてきたエロ女だけど

だからこそ私は、いろんな人の中に私を残したくて

こうやってサイトを開いてこんな事を書いている。

男の子が好きで、人を好きになることが好きで、

いくつになっても、そのときの私が私らしいな、と思う私でいられるように、です。













*今回の日記から、1回書くごとに1個ずつ本やCDを紹介するコーナーを作ってみようかと。

はてなダイアリーを使ってるんだから、その機能をふんだんに生かしてみようという試み。



→→→→→→今日の1枚→

小沢健二『LIFE』(ASIN:B00005GLJB)

これはね。私が一番最初に、ほんとにいちばーん最初に好きになった音楽。人。

中学校の頃にすごい聞き込んだなあ。

初めて自分で買ったCDだったかも。

この頃オザケンは王子様で、とっても可愛かった。

CD自体は父親に職場に持っていかれ、紛失してしまったという悲しい結末が。

しかし最近友達にMDに落としてもらいました。イェー。

私の青い春、および原点です。

いつ聞いてもいい。だいすき。

『東京恋愛専科・または恋は言ってみりゃボディ・ブロー』

『愛し愛されて生きるのさ』がお気に入り。





「夢から夢へといつも醒めぬまま僕らは未来の世界へ駆けてく」(愛し愛されて生きるのさ)